14歳からの社会学 これからの社会を生きる君に

宮台真司bot

社会学2008年 

『14歳からの社会学
 これからの社会を生きる君に』


 
宮台真司 著作●→「エリート」が尊敬されるようにしないと、社会はうまく回らない。いろんな事情をかかえたみんなが、社会全体を見わたして「どんなルールが人々を幸せにするか」を考えて、賢明な合意をする、なんて、最初からはできない。
 誤解しないようにいうと、ぼくのいう「エリート」は、昔の日本社会で通用した「東大→官僚=自己実現」みたいなタイプの人間じゃない。「幸せは人それぞれ」のいまの社会で「それでも多くの人が幸せになれるルールがあるはずだ」と考えられるタフな人間のことだ。

宮台真司 著作●→ドイツに限らず、イギリスでもフランスでも、エリートに任せて尊敬する文化がある。逆にいえば、エリートになれないことを引け目に感じない文化がある。社会学では、これを「階級社会」という。
 日本で「階級」というと悪いイメージだけど、社会学はそうは考えない。

宮台真司 著作●→〈社会〉では「因果」でなく「意思」が出発点だ。出発点だから「意思」の前にはさかのぼらない。これはひとつの世界観だ。「主意主義的世界観」という。これに対し、ぼくたちが全能なら「意思」の前にずっとさかのぼれるはずだという世界観が、「主知主義的世界観」だ。

宮台真司 著作●→ぼくは、カントを大学から大学院時代のはじめにかけて読んで、衝撃を受けたけど、じゃあ、いまのぼくがカントのような考えかというと、そうじゃない。むしろカントに対して否定的だ。カントを読んで影響を受けて、そのあとまた方向転換して、元にもどった感じだ。

宮台真司 著作●→「スゴイ」人に近づこうと「意思」が決めるよりも先に、自動的にそちらに引っ張られるように動かされてしまう。そういう状態が、一番人が〈自由〉を感じている瞬間なんじゃないか。

宮台真司 著作●→ぼくらにとっての死。それは〈社会〉の中で死ぬことでもあれば、〈世界〉の中で死ぬことでもある。〈社会〉の中では「承認」が問題になる。〈世界〉の中では「承認」どころかアリンコみたいな存在だ。「承認」を気にしている自分など、とてもとても小さい

宮台真司 著作●→自分が死んだあと、どう人に「承認」され続けるのか。どう記憶されるのか。そういうことへの不安が、未練だ。だからやっぱり〈世界〉に直接たたずむような死に方も必要だと思う。名前を持たない存在として死ぬことを受け入れる。それで本当に安らかになる。
 まとめよう。どんな死に方が幸せか?
 ぼくの答えは「〈社会〉に関わって生きてきたこと自体を福音だと感じながらも、〈世界〉の中に直接たたずんで死んでいくこと」
 幸せな出来事も不幸な出来事も、不思議な影絵のようだと感じながら、〈世界〉に帰ろう。

 〜 宮台bot Twitter 宮台真司bot


文庫

『14歳からの社会学
 これからの社会を生きる君に』

 2008年 世界文化社
 2013年 筑摩書房
 


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