スポンサーサイト

宮台真司bot
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

幸福論remix 世代

宮台真司bot

→幸福論remix 目次

【せだい 世代】 
  • オタク →セカイ系 →新人類世代 →親友
  • デプス  →虚構の現実化 →少女漫画
  • パプリック・ディスカッション →契約ゲーム
  • ハイパー・メリトクラシー →日の丸・君が代

  • 日本では、タカが世代的な思い出に過ぎぬ「典型家族」にエゴイスティックに固執する「正論」的馬鹿オヤジこそが、社会を崩壊させてきた。
    『ナショナリズムの作法』
  • 僕たち新人類世代は、これから政治闘争だぞというときに、押井守が言うように「祭りが終わってしまった」。そこで、勢いあまって「政から性へ」シフトしたのです。
    『波状言論S改』
  • 日本では、買春をタブーとする伝統は全く存在しなかったのに、純潔教育、良妻賢母教育のおかげで、「男が大人になれば女を買うものだ」ということが、少女(日本の40~50代の主婦)の側から見通せなくなってしまった。
    『学校を救済せよ』
  • 96年をピークに援助交際ブームが去ったのは、援交が自意識の問題だってことがバレバレになったから。いま援交してると痛くもない腹(自意識)を探られちゃう。
    『われらの時代に』
  • 「〈生活世界〉を生きる我々が、便宜のために〈システム〉を利用している」という自己理解が不可能になるのが「ポストモダン社会」です。汎〈システム〉化によって〈生活世界〉も〈生活世界〉を生きる「我々」も〈システム〉の生成物に過ぎないと。
    http://is.gd/d7MKQ
  • 子供の塾通いや家計の教育費が増加に転じるのが75年前後。母原病や家庭内暴力が話題になるのが70年代後半で、心の教育や創造性教育が「大衆化」する時代です。
    http://is.gd/dhj7E
  • 70年代に入ると先進各国は消費社会化を背景に少子化が進みます。子どもが「耐久消費財」の一つになり、数多ある耐久消費財と機能的等価項になります。子がなくても楽しい人生が送れるという発想に変わるわけですね。
    『格差社会という不幸』
  • 専業主婦への過剰負担が耐えうるものだったのは、メディアと結びついた郊外家族・団地家族のバラ色の夢があればこそだった。実際、この種のロマンチシズムが崩れるにつれて、過剰負担に伴う問題が噴出してくる。
    『まぼろしの郊外』
  • 高齢者所在不明問題、児童虐待放置問題。40年前の日本ならこうした放置問題はあり得なかった。分水嶺は僕の見るところ「隣人訴訟」が問題になった79年あたり。以降、何かというと行政という呼出線を使って恥なくなる。法化社会の始まりです。
    http://is.gd/g55LE
  • 団塊ジュニア世代になると、自分で何かを模索した結果たがいに分化していくのではなく、先行世代がバラバラに分化させたリソースのなかからたまたま出会ったものにくっつくようになります。「それ」を選ぶ必然性はない。
    『ネット社会の未来像』
  • 若い世代では「親友」という概念が僕ら世代と随分違います。彼らが言う「親友」は、悩みを相談する相手というよりは、慎重にトラブルを回避しなければならない相手であり、僕ら世代が言う「友達」にあたります。
    『こころ「真」論』
  • 僕と同世代、あるいは、少し下になると、どんどん叱れなくなるんですね。なぜかというと、まず感情を乗せ、感情を暴発させた経験がないので、自分の感情の幅がわからないから、叱るのが不安なんですね。
    『透明な存在の不透明な悪意』
  • 「旧社会」の賢者なら感情的になったフリをして相手からゲインを引き出すのに、「新社会」の馬鹿は、感情的ショートカットで「気分スッキリで、墓穴を掘る」。
    『ナショナリズムの作法』
  • 明らかに若い人たちの「意味」の読解力は落ちているし、作り手の側の意識も落ちている。
    『波状言論S改』
  • ゆとり世代は問題大ありだよ。勉強に関して言えば、「なぜ勉強するのか?」という動機が「親の承認」になってるんだ。「一生懸命勉強すれば、パパやママが僕を認めてくれるから」というわけだ。
    『中学生からの愛の授業』
  • ゆとり世代には「メンヘラー=病み系」が多いね。精神の安定がなく、勉強ができたりスポーツや音楽の才能があったりする子も、ちょっと環境が変わるとメチャクチャになる。ノイズに弱くて、雑多な環境への適応力がない。
    『中学生からの愛の授業』
  • 昔は、ぼくの父のような旧帝大生を含めて、勉強のできる人間がコミュニケーションも上手なのは当たり前だという通念がありました。これも崩れてしまったわけです。
    『幸福論』
  • 86年生まれ以降は構えや雰囲気が以前と違う。スーパーフラットな法化社会に生まれ、激動の95年(大震災やオウム真理教事件や援交フィーバー)をリアルに記憶せず、96年以降のノイズレス&スーパーフラットな街が自明、ということでしょう。
    http://j.mp/pkrgT0
  • もはや結婚しないのはノーマルなことで、全然異常ではなくなりました。そのため、かえって正当化しやすくなっています。加えて、90年代後半から、生身の女とつきあわないことが以前ほどトラウマにならなくなりました。
    『格差社会という不幸』
  • 「プライド」ばかり高くて「自己信頼」が低い人々が増えてきている。
    『天皇と日本のナショナリズム』
  • 90年代に入るとストーカー現象が「偏差値の高いところから低いところへしたたり落ちた」。専業主婦が子どもを抱え込む度合いの増大と、日本的学校化の進展がシンクロする。それが、「ストーカーのしたたり落ち現象」の背景になります。
    http://j.mp/iqjp87
  • 90年代半ばから、入部理由が「ダイエットになるから」。サークルに入っても「我々」という主語が成り立たない。「地区大会で優勝するため一丸となって」とかはあり得なくなって、自分に必要がないことは一切やらないと。
    『思考のロバストネス』
  • 10年ほど前から高偏差値大学における学生の読解力が著しく下がってきました。僕は一貫して長文回答の記述式試験を施してきましたが、解答レベルの低下には目に余るものがあります。
    『日本の難点』
  • 96年頃を境に学生のレベルが極端に落ちはじめます。とりわけ「自問自答形式:自分で適切な作問をして回答せよ」という試験の成績がありえないほど低下しました。彼らは「幸せ」になる力が極端に落ちてきています。
    『格差社会という不幸』
  • 僕の経験では、九六年頃を境に学生のレベルが極端に落ちはじめます。同じ教材を使ってもゼミの討論が不活発化し、サブゼミ・グループワークもうまく行かなくなって、僕は授業形式を変えました。
    『格差社会という不幸』
  • 世代が若くなるほど、その世代で最も能力のある本来は影響力をもちうる人が、パブリック・ディスカッションの場所に出てこなくなったと感じます。これは日本的な現象ですよね。
    『幸福論』
  • 通過儀礼への要求は続いているけれど、少し以前とは違うステージに入ったと感じます。昔であれば引きこもりは引きこもりに見えたけれど、今は引きこもりに見えない人が心的には退却している。そういう時代です。
    『atプラス05』
  • 今や、「自分たちは今こういう社会を生きていると誰もが思っているはずだ」という社会的共通感覚は期待できない。誰かが「オレは社会を知っている」と言ったとしても、「お前がそう思っているだけだ」と嘲笑されるんですね。
    『少年たちはなぜ人を殺すのか』
  • 参照される思想家の名前が更新されない。昔は作家がアドボケーター(価値の唱道者)たりえました。それがだんだん難しくなり、今や「社会や人々に訴える人である」という公共的なスタンスを取ると「イタい」と。
    『思想地図3』
  • 「現実など所詮はその程度」と構えて前に進むのが普通になった。かけがえがないと思ったものも結局は反復に過ぎないという指摘が、今は、衝撃を与えない。現実が与える期待外れに対して免疫化が進んだ印象です。
    『atプラス05』
  • 昨今は「ウマク生きること」と「マトモに生きること」とが乖離するのです。ウマク生きようとするとマトモに生きられない。ところが大人たちは「ウマク生きろ」と推奨する一方で「マトモに生きろ」と推奨する。ダブルバインドです。
    http://is.gd/d7Aes
  • 「現実には魅力がないばかりか、尊重するべき理由を見出せない」。私はこれを「脱社会的な感受性」と呼び、そうした感受性を持つ者を「脱社会的存在」と呼びます。犯罪に及ぶ者は極端な例外でも、こうした感受性が若者たちに広く拡がっています。
    http://is.gd/d7zeP
  • いまの若い連中には「社会にはデプスがあるけど、思春期である自分たちには若すぎて見えない。でも大人になるにつれて見えるようにならないと、バカを見る」という感覚がない。
    『幸福論』







→幸福論remix 目次



カテゴリ
リンク
サイト内検索


















上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。