正義から享楽へ 映画は近代の幻を暴く

宮台真司bot

社会学2016年 

『正義から享楽へ 映画は近代の幻を暴く』


 
宮台真司 著作●→僕らは自由に言葉を使え、自由に体を動かし、自由にピントを合わせられる。でも、この自由は自動機械と同義だから、物事が厄介になる(笑)。

宮台真司 著作●→絆とは、助かりたいがゆえに追求する「手段」ではなく、何があっても助けるという「目的」です。言い換えれば、損得勘定の「自発性」を超えた、内から湧き上がる力の「内発性」です。

宮台真司 著作●→社会がダメになりつつあるからこそ、もともとのアテネのような小さいエリアで「言葉にならないもの」 — 共同体感覚 — を復権することが課題になっています。

宮台真司 著作●→家族映画ならずとも、映画の伝統ではしばしば共食シーンが「平穏な日常」「正常な秩序」を象徴するものとして使われます。

宮台真司 著作●→97年のアジア通貨危機を迎える頃迄には、グローバル化の副作用への共通認識を通じて「まともに見えるものがまともじゃない」ことは人口に膾炙(かいしゃ)しました。

宮台真司 著作●→「温かい共同体」を目差す筈の左翼が、排外主義の〈劣化左翼〉に堕する一方、言語的理路を過剰に信頼せず共通感覚醸成を目差す筈の保守が、血筋や人種に拘る排外主義の〈劣化右翼〉に堕する。

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『正義から享楽へ 映画は近代の幻を暴く』
 宮台真司
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 垣内出版
 


 

正義から享楽へ 映画は近代の幻を暴く

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社会学2016年 

『正義から享楽へ 映画は近代の幻を暴く』


 
宮台真司 著作●→〈世界〉はそもそもデタラメだから、〈社会〉もデタラメなのであって、〈社会〉を秩序と見倣すこと自体が浅はかな思い込みである…ギリシャ悲劇はそうしたモチーフに彩られています。

宮台真司 著作●→「日常それ自体が、ありそうもない奇蹟だ」「無秩序の海に浮かぶ奇蹟のイカダのように、秩序がある」と捉える小説や映画の系列は、ギリシャ悲劇の伝統に連なっています。

宮台真司 著作●→通過儀礼とは共同体から別の共同体への移行儀礼で、混沌を経験する前と後とで離陸面と着陸面が異なることを利用します。自己啓発セミナーも同じ構造です。

宮台真司 著作●→先進国では信仰共同体の成員(信仰者)が不可逆的に減少、グローバル化による中間層分解でソーシャルキャピタルも減少、「仲間の非自明化」が加速します。

宮台真司 著作●→主権国家と資本主義と民主政のトリアーデが成り立つ時代にしか、見ず知らずの人々を国民という仲間だと見做す感受性を持続できません。

宮台真司 著作●→「これが現実」という体験は「現実の存在」を証しない。

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『正義から享楽へ 映画は近代の幻を暴く』
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正義から享楽へ 映画は近代の幻を暴く

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『正義から享楽へ 映画は近代の幻を暴く』


 
宮台真司 著作●→リベラル・ナショナリズムは、最初にどこで生まれたかで「人権」の座席に座れるか否かが決まり、本人に責任がない理由で「コイツは人間、ソイツは人間モドキ」と選別します。

宮台真司 著作●→ヒトは〈感情の動物〉で、ヒト独自とされる愛も嫉妬も、インストールされた〈感情プログラム〉の帰結ですが、誰もが同じプログラムをインストールされていることの切なさ。

宮台真司 著作●→〈世界〉は確かにそうなっている、という納得をもたらす装置をアレゴリー(寓話)と呼びます。黒沢清作品は全て寓話です。

宮台真司 著作●→「秩序自体が、ありそうもない奇蹟だ」という発想は、ギリシャ的=叙事詩的です。反対に、「神の怒りで、無秩序になった」とする発想は、セム族的=一神教的です。

宮台真司 著作●→技術は、ヒトから、ヒトである必要を免除します。人間的なパーソンである必要も、人間的な社会である必要も、なくなります。

宮台真司 著作●→言語以前的な世界を忌避して言語にしがみつくと、親子関係も性愛関係も不安定ゆえに怖いものになるのです。

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正義から享楽へ 映画は近代の幻を暴く

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『正義から享楽へ 映画は近代の幻を暴く』


 
宮台真司 著作●→私は、表現したいことを伝えるために映画を利用している。通常の映画批評から見れば、掟破りだろう。

宮台真司 著作●→救いがないことで救われるという作品系列があります。それはギリシャ悲劇的と呼ばれることが多く、ソフォクレス「オイディプス王」に形式の典型が見出せます。

宮台真司 著作●→通過犠礼は[ 離陸→混沌→着陸 ]の3段階を辿ることが知られています。離陸面と着陸面の相違が、成長による移行を意味します。

宮台真司 著作●→父親は子どもに呪いをかける存在だからこそ、子どもに何かを超えさせる存在になり得るのであり、父親は子どもに何かを超えさせる存在であり得るからこそ、子どもに呪いをかけてしまうのです。

宮台真司 著作●→まともに見えるものは実はまともじゃないのです。ラカンが言うように、まともに見えるものに埋没している人間こそ病気です。

宮台真司 著作●→人々が何を面白いと感じるのかも、社会的な関数の産物です。秩序回復よりも、むしろ気付いたときにはすべて取り返しがつかず、そこから何が始まるのか少しもわからない…という物語を人々が望み始めています。

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