オタク的想像力のリミット 〈歴史・空間・交流〉から問う

宮台真司bot

社会学2014年 

『オタク的想像力のリミット 〈歴史・空間・交流〉から問う』


 
宮台真司 著作●→マニアとオタクとどこが違うか。これは「既成宗教とカルトはどこが違うか」という宗教社会学的問題の応用です。答えは同じです。市民社会との両立可能性が疑われるものが、オタクであり、カルトなのです。

宮台真司 著作●→日本のオタク的コンテンツが、国外で大きな力を持つようになった理由を、カルスタでは扱いきれません。〈大英帝国的な反省ツール〉を日本のオタク的コンテンツに当てはめても、所詮は何も見えないのです。

宮台真司 著作●→僕は『サブカルチャー神話解体」を上梓した92年から昭和コンテンツの歴史についての講義を20年続けていますが、この5年間の食いつきが最も良いのです。学生たちの言によれば「平成に希望が持てないので、相対的に昭和が輝いて見える」ということです。

宮台真司 著作●→『ウルトラセブン』シリーズ終了後に放映された『怪奇大作戦』では、「社会から虐げられた者が犯罪を以て復讐する」形式が反復されます。実相寺昭雄監督の回の全てがそうですが、復讐の瞬間、復讐者には心中者と同じ「光」=〈闇の力〉が降りています。

宮台真司 著作●→僕が麻布学園で中高生時代を生きた70年代半ばは、振り返ると毎日が相当に苦しい時代でした。実際、自殺したりドロップアウ卜したりする友人たちもいました。僕には証言するべき義務があるのです。

宮台真司 著作●→社会はクソ。俺もクソ。お前もクソ。だからこそクソな現実を、あり得たかもしれない(絶対にあり得ない)想像的世界と併せて、拡張現実的に享受する他ないのです。

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『オタク的想像力のリミット
〈歴史・空間・交流〉から問う』

 宮台真司 監修
 筑摩書房



新国立競技場、何が問題か オリンピックの17日間と神宮の杜の100年

宮台真司bot

社会学2014年 

『新国立競技場、何が問題か オリンピックの17日間と神宮の杜の100年』


 
宮台真司 著作●→民主主義が健全に機能するためには、〈自立した個人〉が必要です。ですが、〈自立した個人〉は天からは降ってこないので、それを支える〈自立した共同体〉が必要になります。 つまり、国家や巨大電力会社などに依存しない共同体です。

宮台真司 著作●→〈依存的な共同体〉 、国家や巨大電力会社にぶら下がる共同体は、必ず〈依存的な個人〉を大量生産します。なぜなら、共同体が寄りかかっている大きな物に敵対する個人は、必ず潰されるからですね。そうした〈依存的な個人〉は必ず、民主主義を、たとえ制度として存在したとしても、デタラメに機能させます。

宮台真司 著作●→僕は2 、3 年前まで、原発推進派の立場を表明しておりました。けれども、世界でも日本の原発行政だけが、じつは〈巨大なフィクションの繭〉に因われているということに気づいて、日本についてだけは原発はダメだという立場に変わりました。

宮台真司 著作●→「原発絶対安全神話」は日本にしかありません。「全量」すべての使用済み核燃料を再処理できるという神話、これも日本にしかありません。あるいは「原発は最も安い」という神話も日本にしかありません。

宮台真司 著作●→日本の都市計画は環境倫理学への無知に基づいており、未だにニーズを計画評価の物差しに使います。新国立競技場コンペのプログラムが、愚昧ぶりを象徴します。

宮台真司 著作●→オリンピックだけに関する短期的で浅薄な、いわばあさましいニーズに寄りかかることなく、僕たち子々孫々にわたる〈尊厳〉を考えていく必要があるわけです。

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『新国立競技場、何が問題か
 オリンピックの17日間と神宮の杜の100年』

 槇文彦, 大野秀敏 編
 平凡社
 




私たちはどこから来て、どこへ行くのか

宮台真司bot

社会学2014年 

『私たちはどこから来て、どこへ行くのか』


 
宮台真司 著作●→全体主義に抗うのに、非全体主義的な -- 徹底して民主主義的な -- やり方は採用できないのか。あるいは、いまや有効性が低すぎて、全体主義を使わずには全体主義に抗えないのか。
 今日最先端の政治学や政治哲学においては悲観的な見方が拡がっている。

宮台真司 著作●→3・11で〈終わりなき日常〉は終わったか。あり得ない。〈終わりなき日常〉には三つのレイヤーがあり、どのレイヤーでも3・11が何の影響も与えていないことを、簡単に証明できる。

宮台真司 著作●→「現実」にまともに乗り出さないで「虚構」に留まることについて、いままでは言い訳が必要だったのですが、オウム事件以降は、言い訳がいらなくなったのです。

宮台真司 著作●→「現実」も「虚構」も、大衆文化も伝統文化も、学問もサブカルチャーも、全てが、〈自己のホメオスタシス〉にとっての素材になったのです。この意味での「軽い現実」こそが、「セカイ」と呼ばれるものの本体です。

宮台真司 著作●→「セカイ系」と、「現実」を「虚構(ゲーム)」のように生きる「バトルロワイヤル系」とが、分化(differentiatin)した、ここ10年以上続いている状況は、安定した動的平衡状態(定常状態)です。この状態が相当長く続くのではないかと推定されます。

宮台真司 著作●→ありとあらゆるものが恣意的であることを指摘し、それを指摘する自分の営みもまた恣意的であることに自己言及するのが、社会学です。

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関連情報
2014年05月14日 リンク 鶴見済 [ 宮台真司による捏造記事を訂正する ]
 ┗  リンク そのはてぶ




『私たちはどこから来て、どこへ行くのか』
 宮台真司
 幻冬舎
 



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