教育「真」論

宮台真司bot

社会学2004年 

『教育「真」論』


 
宮台真司 著作●→を国家だと考えますと、普通なら箱が中身の間尺に合うかどうかが問題になります。つまり国家が国民のために機能しているかどうかを検討することが当たり前になります。でも、日本では中身はどうでもよくて箱がすべてなんですね。

宮台真司 著作●→64年以前の日本人にとってのヒーローは坂本龍馬じゃなく西郷隆盛だったんです。龍馬がヒーローだという、まさに昭和後期的な司馬史観の席巻によって、それまでの史観を支える国民的共通感覚が忘れられるようになったんです。

宮台真司 著作●→ゴジラが怪獣のルーツですが、僕の考えでは、これは日本人の空襲体験と密接な関係があります。敵兵の顔が見える地上戦を経験したか否か。空襲だと、大震災あるいは落雷のごとき天変地異に類似した受けとめ方になるわけです。

宮台真司 著作●→「生きていればいいことがある」「君の悩みは小さいことだ」といった「ありがちなコミュニケーション」をすると、自殺しようとする側が、むしろ死に向けて追い込まれていく。このことへの気づきが第1ステップです。

宮台真司 著作●→怪獣という表象は非常に日本的です。怪獣はモンスターとは違って先天的悪役ではありません。怪獣は人間の不遜さがつくり出した歪みです。人間を困らせることを通じて人間に教訓をもたらすのです。怪獣に悪意はない。

宮台真司 著作●→ロマンチシズムの本義は「不可能性の志向」です。不可能だとわかっているからこそ、命懸けでコミットメントし、そして死ぬときに「素晴らしい夢を生きることができた」と死んでいくのがロマンチストなんです。

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『教育「真」論』
 That’s Japan Special 連続シンポジウムの記録
 



歴史の中のサンカ・被差別民 謎と真相

宮台真司bot

社会学2004年 

『歴史の中のサンカ・被差別民 謎と真相』


 
宮台真司 著作●→日本的ファシズムが人種主義的傾きを持たなかった背景に、私達が土俗の「聖穢」観念に支配されがちな分だけ人間の能力を云々する「貴賎」観念に寄りかからずに済んだという事情があります。

宮台真司 著作●→なぜ青森にイタコが残り、沖縄にユタが残るのか。蝦夷だったり琉球だったりと辺境にあって、日本の階層的社会構成の中に長らくはめ込まれなかったからです。

宮台真司 著作●→「貴賎」は階級問題です。が、身分問題は「貴賎」には還元できない。すなわち、階級問題には還元できない。なぜか。身分問題には「貴賎」以外に「聖穢」または「浄穢」が貼り付いている、という理解がある。

宮台真司 著作●→人に「聖穢」を貼り付ける差別は、豊かになり、階層化が進み、分業秩序を維持したり頂点を正当化する必要が出てきて、初めて登場するのです。

宮台真司 著作●→社会が不安になればなるほど、「穢れたるもの」や「聖なるもの」への関心が高まり、自らをそれによって方向づけよう、鼓舞しようとする動きも高まります。

宮台真司 著作●→単に差別について無知であることをもって差別が解消されたと考えるのは、内臓を見聞せずに身体の外見だけで病気かどうかを判断するヤブ医者のようなものです。

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『歴史の中のサンカ・被差別民 謎と真相』
 別冊歴史読本 新人物往来社
 



人格障害のカルテ 理論編

宮台真司bot

社会学2004年 

『人格障害のカルテ 理論編』


 
宮台真司 著作●→人格障害というカテゴリーそのものが一般的に危ういのは、「どこに問題があると考えればいいのか?」という合意が、だんだん不明確になってきているからです。

宮台真司 著作●→反社会性と言う場合には、何を社会性と見なすかに合意がなければいけない。複雑な成熟社会では、一枚岩の合意は不可能。その意味で、精神科医の一部が平気で反社会性という言葉をお使いになる素朴さは大変驚きです。

宮台真司 著作●→70年代後半に語られ始める家庭内暴力は〈依存的暴力〉の典型。よき家族についてのメディアイメージに煽られているから、期待外れが大量生産される。期待外れを埋め合わせられないから、依存対象にバイオレントになる。

宮台真司 著作●→家庭内暴力が終息すると、今度は校内暴力が起こりますが、これも〈依存的暴力〉です。学校が居場所にならなければいけないという煽りがあって、なのに学校が居場所にならないからと暴れる。

宮台真司 著作●→社会的な不備、あるいは制度的な不備を、ちょうど隠蔽するかのように、あるいは埋め合わせるかのように、人格障害という概念が日本では機能しはじめています。制度が不備なくせに、病気として隔離したままにする。

宮台真司 著作●→不適応になった人間に、適応不全の原因になった問題があると考えるべきか。それとも、不適応者を出さざるをえない社会システムの側に問題があると考えるべきか。そういう選択が社会学者にはいつも課せられている。

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『人格障害のカルテ 理論編』
 批評社
 



21世紀の現実 社会学の挑戦

宮台真司bot

社会学2004年 

『21世紀の現実(リアリティ)
 社会学の挑戦』


 
宮台真司 著作●→あらゆる事物が制御可能だと信じられる啓蒙先進国では、実用の制御知(知恵)が席巻する。制御不可能な不合理が分厚く存在すると信じられる後発国では、制御知よりも全体知が優位する。

宮台真司 著作●→共通前提への信頼や視界の透明さが失われ、「サブカル歴史語り」が享受可能性から見放されて以降、サブカルの機能的分析は、以前ほど反発を買わなくなった。分析を自分には関係ないと無関連化できるからだろう。

宮台真司 著作●→「真理の言葉」は、社会的文脈の分岐によって全体性から見放されていく一方で、心理的安定化の機能を発揮し続ける。「機能の言葉」は、全体性への近接と引き替えにカタルシスを犠牲にし、心理的に人々から遠ざけられ、カルト化する。

宮台真司 著作●→社会システム理論は、パラドクスを消去した静止画のごとき状態を良き社会と見なす形而上学を激しく拒絶する。それは20世紀半ば以降のSF小説が「ユートピアはディストピアだ」との逆説的モチーフを繰返し展開してきたことに対応する。

宮台真司 著作●→社会学は英米圏では完全に落ち目であり、とりわけ全体性を希求する思弁的な社会学:例えばルーマン:について言うと、もっぱら旧枢軸国で読まれ、議論の対象となっている。英米圏では、社会学研究者の大半が実証モノグラフを量産している。

宮台真司 著作●→今日の社会学から「全体性」が失われて久しい。個別領域への穴籠りが進み、異なる穴の住民同士では言葉さえ通じにくくなった。それに並行して、一般理論志向が失われ、理論社会学は低迷している。

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『21世紀の現実(リアリティ)
 社会学の挑戦』

 ミネルヴァ書房
 


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